歴史を知る

コンゴ共和国の歴史はコンゴ王国が16世紀にポルトガルによる征服を経た後に、19世紀にベルギー領である現在のコンゴ民主共和国とフランス領である現在のコンゴ共和国とポルトガル領に分けられたことから始まります。コンゴ共和国の起源となったコンゴ王国は14世紀のコンゴ人とされるルケニ・ルア・ニミが周辺の諸国を平定したこととされています。ヨーロッパ人などがアフリカ大陸に上陸する以前はコンゴ王国は貿易がかなり高度に整備された国家でありました。

1482年に大航海時代を代表する航海士の1人であるポルトガル人のディオゴ・カンがコンゴ川に到着しました。そして1485年にはポルトガル王国とコンゴ王国の国交が結ばれ、両国の和平関係とキリスト教の布教が承認されました。コンゴ王国はその後も名前のみ続きましたが、19世紀末にはベルギーとポルトガルの植民地になりました。そして、1885年のベルリン会議においてベルギーとポルトガルに分割統治をすることと決められ、王国は消滅しました。

長期に渡り植民地となっていたコンゴ共和国は、ベルギーから独立した後に、1965年、モブツ大統領が政権を取りました。1990年以降は政治は内紛などで混乱したものの、モブツ大統領独裁体制は30年以上続きました。1997年5月にルワンダとウガンダの支援を受けた反政府勢力のコンゴ・ザイール解放民主勢力同盟のローラン・デジレ・カビラ議長が首都キンシャサを制圧しました。そしてカビラ議長が大統領となり、国名をザイールからコンゴ民主共和国へ変更しました。

しかし、1998年8月にコンゴ民主共和国東部地域で反政府勢力が武装集結し、ウガンダ、ルワンダなどの近隣諸国が反政府勢力を支援し派兵しました。そして、ジンバブエ、アンゴラなどがカビラ政権を支援するためにコンゴ民主共和国へ派兵し、国際紛争へと発展してゆきました。翌年の1999年8月に停戦合意が成立しましたが、その後もメディアによって戦闘の発生が伝えられ、安定しない情勢が継続しました。

2001年1月にローラン・デジレ・カビラ大統領が何者かに暗殺され、息子であるジョゼフ・カビラ将軍が大統領になりました。ジョゼフ・カビラ大統領は、戦闘をなくそうと国民との対話を推進し、近隣国や欧米諸国との関係回復、そして経済自由化政策を推進しました。そして2002年には、ジョゼフ・カビラ大統領指揮による和平プロセスが進展し、ルワンダとウガンダがそれぞれコンゴ共和国内から軍撤退をするということで合意しました。

目標に掲げていた国民対話も進展し、2002年12月にはコンゴ共和国国内の全勢力が参加する「プレトリア包括和平合意」が成立しました。この合意に基づいて2003年7月に2年間の期限を条件とする暫定政権がいよいよ成立したのでした。選挙準備などの遅れにより暫定期間が延長されて、2006年7月に第1回大統領選挙と国民議会選挙が開催され、ジョゼフ・カビラが当選しました。ジョゼフ・カビラは2006年12月に大統領に就任し、2011年にも再選しました。

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