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コンゴ民主共和国は赤道にまたがっており、アルジェリアとスーダンの次にアフリカ大陸において国土面積が広い国です。広く長いコンゴ川が、鉱物資源が豊富な土地や豊かな土が自慢の農地、そしてジャングルをぬって流れています。コンゴ川の出口である河口部はわずかに大西洋に面しています。国土面積の6割を占めるコンゴ川沿いのジャングルが中央部に位置しています。そして西には首都であるキンシャサ、東には険しい山岳が連なり、南には鉱物資源が豊富な高地が広がっており、南の地域は交通が困難なエリアになっています。

photo credit: hypermobility Congo river, Chez Tintin via photopin (license)

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コンゴ民主共和国の輸出の90%が鉱物であるダイヤモンド・コバルト・金などで占められていて、1970年代の初め頃までは右肩上がりの経済発展を遂げていました。しかし、銅の価格が低迷し、対外債務の増大などによって経済損失が増し、1970年代の終わり以降には経済困難に直面してしまいました。そして1991年に起きた内政混乱以降は、政治的にも経済的にも崩壊の一途を辿りました。1997年に起きたモブツ政権の崩壊を契機に1998年にはコンゴ紛争が勃発し、コンゴの経済は壊滅状態となりました。

経済が壊滅した状態から約8年経った2006年の7月、世界銀行とIMFの協力の下に、PRSPと言われる貧困削減戦略文書が策定されました。 2006年に開催された総選挙により正式に大統領に就任したジョゼフ・カビラ大統領は、コンゴ民主共和国の復興のためにマクロ経済の安定をはじめ、経済改革の推進に奮闘しています。しかし、様々な施策や他国の協力関係を築きながらも2012年時点で人間開発指数は187カ国中186位の最貧国となっています。

コンゴ民主共和国は250に及ぶ部族が共存しており、約700種類もの言語と方言が混ざり合っています。コンゴ民主共和国は世界的に見ても最低レベルの生活水準にあり、政治の腐敗、紛争、全く機能していない公共サービス、財政資源である銅とコーヒーの取引価格の低迷などがその原因と言われています。

コンゴの歴史は波乱に満ちたものです。1960年にベルギー領であったコンゴは共和国として独立しました。1965年に起きたクーデターで政権を掌握することに成功したジョゼフ・モブツは、国名をザイール共和国に改称しました。政権を掌握した後、自らの名もモブツ・セセ・セコに改めました。政治の腐敗がひどかったモブツ主導の政権はなんと30年以上維持されました。腐敗政治の終焉は1997年に起きました。ローラン・カビラ率いるルワンダとウガンダの支援を受けた反政府武装組織が1997年にキンシャサを制圧した時に終焉を迎え、国名も今のコンゴ民主共和国に改称されました。

photo credit: MONUSCO 24 via photopin (license)

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新しい大統領となったジョゼフ・カビラと旧反政府組織との間に争いが生じると、今度はルワンダとウガンダが反政府側を支援してしまい、また新たな紛争が引き起こされました。2003年に国連の仲裁が入ることによって和平合意と暫定政府が成立しました。その後、政府は引き続き分裂した国内の統一を進めようとしています。

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