キンシャサの治安について

 

コンゴ民主共和国において過去に何度も内戦が起きましたが、キンシャサ市街は幸いにも大きな被害を被ることはありませんでした。モブツ政権崩壊の時も、キンシャサでは市街戦や闘争は起こりませんでしたが、内戦が激化する各地から避難民がキンシャサへと流入し、衛生状況や治安が極端に悪化しました。2004年にはキンシャサはヨハネスブルグやナイロビと同様にアフリカで最も危険な都市と一つと言われるようになりました。

第2次コンゴ内戦の後には、市内の貧民街にはギャングが急増化し、殺人や強盗、そして強姦などの犯罪が多発し、キンシャサの殺人率はなんと人口10万人につき112人以上にまで上昇してしまいました。治安は常に悪く、治安を守るべき警察官や軍人がギャング以上に市民を苦しめており、日中でも大通りの人前で市民に暴力を振るって金品を奪っているのが現実です。闘争や慢性的な貧困によって孤児となった子どもも多く、その子ども達は「シェゲ」と呼ばれるストリートチルドレンのグループとなって街中で暗躍し、治安悪化の要因となっています。

隣国のコンゴ共和国の首都ブラザヴィルとコンゴ民主共和国はコンゴ川を挟んで、5,000メートルしか離れていないので、ブラザヴィルで紛争が勃発した場合はキンシャサにも被害が及ぶことがあります。1997年、モブツ政権崩壊においてはそれほどの被害がなかったのに、同時期に隣国の首都ブラザヴィルで起きたドニ・サスヌゲソ前大統領派とパスカル・リスバ大統領派との対立においての市街戦が勃発した時には、コンゴ河畔の住民が流れ弾などの被害を受けたという記録が残っています。

2012年には隣国の首都ブラザヴィルで武器庫が大爆発を起こして、ブラザヴィルの住民146人以上が死亡する事故になったが、この時、キンシャサでも爆発の衝撃で窓ガラスが割れるなどの被害を受けました。

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